民主主義の持続的発展のために ~身近なところから政治を変える~
民主主義の持続的発展のために
~身近なところから政治を変える~
畑 武志
1.はじめに
民主主義の国々では、人権が大切にされ、国民は自由に自分の意見を述べられる。しかし、欧米各国でも政治の流れは変化し、権威主義的な首長や政党が勢いを増して、国民の自由な発想が阻害されるような、民主主義の危機があらわになってきている。わが国の政治でも、対立する政党間の論争が繰り返されるだけで、高度な政治へと進展する様子もない。国会中継で審議の様子は視聴できても、政党間の駆け引きが続いて、生産的な議論にならない姿を見ていると、国民は政治から益々離れていくのではないかと危惧される。政党代表者間の議論ではなく、各議員自身の意見を国会の場で出し合って問題点を明らかにし、解決策を見出すような議論はできないものだろうか。民主的な体制を維持し、発展させるためには、国会での議論の仕方を変えていかねば、発展するどころか、民主主義の危機を迎えることになるかもしれない。
国会や地方議会でも優秀な議員が党派に縛られることなくより自由に議論ができるよう改めていくべきだろうし、質問や答弁書の読み上げが続く議論形式から脱却して、さまざまな角度から新しい見解について議論が展開できるようしていく必要がある。さらに議員だけでなく国民の優れた意見が直接議論の場に届けられるようにできれば、誤った方向に議論が流れることを防ぎ、民主主義の危機を予防する手立てになる。今や技術的にそのようなことが可能になっているから、優秀な議員の方々による国民に寄り添った議論ができる、国民の力を結集した最高度の政治を行えることが視野に入ってきている(特に4.国会での審議の在り方以降の部分)。
2.権威主義に対する民主主義の優位性
独裁的国家の政治判断に対して民主国家のそれが勝るとすれば、後者が多くの優秀な国民の知恵を集めて政治政策判断ができる点である。その優位性を活かすことができれば、後者の政治は優れて最良化を進めていくことができる。独裁を排除して、民主的国家を維持発展させるには、国民の知恵を結集して、政治が行なえる制度になっているかどうかにかかっている。言論の自由が許されている国家では、あらゆる問題に対して、誰でも意見が述べられるが、それを国会等で的確に吸い上げられるシステムができれば、どのような問題に対してもその時点で考え得る最良の解決策を見出すことが可能になる。権威主義の国々の限られた権力者による解決策は決定が早くとも、判断を誤る確率は増加し、偏った方向に進む可能性が高くなる。民主的な組織での計画づくりや問題解決法は、構成員の意見を取り入れながら、できるだけ最良のものを生み出していくことにあり、その結果代表者は自身の考えだけでなく、さまざまな意見を考慮した上で最良の計画づくりや問題解決策を採用することができる。そのためには意見を収集し議論するための補助的システムが重要である。
国民の代表である議員による国会審議において、上述した民主主義の優位性は保たれているだろうか。国会で成立してきた多くの政策や法律はその後も問題なく機能しているのだろうか。政党間の対立意見が中心となって噛み合わない議論が繰り返されているが、残念ながら議論を煮詰めて最高度の政治判断に導くような状況にはない。現今の政治がここまで混迷している状況を見ても、それら法律や政策が十分なものではなかった証明でもあろう。完全であることはあり得なくとも抜け穴のない法律や誤りのない最良な政策決定のためには議員や一部関係者だけで議論されること自体が問題なのかもしれない。
国民の中にはさまざまな政治課題それぞれに深い専門知識を持った人々が多数存在している。その意見を聴くために、公聴会等の制度は有効である。しかし、今や新たな手法で多くの意見を同時的に収集処理することが可能になっており、国会等においても選任された専門家の意見だけでなく、同時に一般からも意見を求めることができる。日頃より議員は国民に寄り添い国民の声を国会に届けるよう努力されているが、あらゆる声を網羅することは無理である。また、いくら優秀な議員であっても全てに通じているわけではない。権威主義を凌駕できる最良の政策立案には、国民の知恵をより積極的に活かすことができる制度が必要である。現状では、一般国民が国会等に意見を届けるには、議員の紹介による「請願」とその後の煩雑なプロセスが必要であり、そのような時間と労力をかけても、議論に反映できるスピード感は無く、間にも合わない。
3.国民の声が活かされる政治へ
国民の声は議員によって、国会に届ける努力がなされているのであるから国会もそのような努力を受けて、より多くの声を引き出せるような方策を考えるべきであろう。数多くの意見を一括処理できるシステムを作ることは現代では容易になっているのだから、国会も変わっていくべきではないか。普通に使われているZOOMやSKYPE等による会議をイメージすれば、国会審議の現代化も見えてくる。即ち、国会中継に代えて参加数の制限を解除したZOOM等の会議形式では、視聴者からの意見提出はいつでも可能であり、その意見の類別や抽出等はAIによれば即時的にできる。国会には議員を通して請願をするという制約があるから、直接提言は無理としても、国会から国民に対して意見を求めることは可能であろう。
限定された時間内で、自由に意見交換するためには、国会内でも用意される議員各自のPC端末を通して意見提出ができるようにし、代表質問者として選出された議員との党派に割り当てられた制限時間内の議論だけでなく、個々の国会議員からも関連意見を、質疑応答中にも提出できるようにし、議長はより多くの意見を基に最良の結論へと導くことができるようにもなる。いくら多くの意見が提出されても、現在のAI処理能力は短時間で全意見の類別化やとりまとめ、特徴ある重要意見の抽出等が可能であり、議長始め出席議員全員のPCにそれらの解析結果を表示することができよう。
会議では議長のリーダーシップが問われるが、これらAIを活用した有用な手段を議長らが将来的にも利用しないことの方が考えにくい。各学校でも導入されているPCが何れこのような解析システムと共に議会にも導入されるであろうが、国民のためにはできるだけ早い導入が望まれる。各議題について党派で固まるのでなく議員個々人が考え抜いた意見や国民からの優れた意見が議長らによって取り上げられ、最良の政治決定へと向かうのが、これからの民主主義の形であろう。その流れを先んじて進める国はあらゆる課題に対してその時点での最良の政策を選択でき、多数の国民にとって望ましい国の姿、平和で豊かな国へと速いスピードで変わっていくことができよう。それは予め住所氏名等登録している国民は全て国会の求めに応じて直接意見を提出することが可能になり、最も優れた意見が取り上げられて進化する世界に変っていけるからである。勿論多様な意見の中には、悪意のある流れを作ろうとするようなものも出てくるかもしれない。しかし、AIによってそれらの特異な意見を抽出でき、議長らの透徹した判断力や、多くの国民の目によって、危険な論説は排除され、最良の選択へと導くことが可能になる。そのためにも開かれた透明性は、国会の議論においても常に最重要な課題である。機密を要する議題を除いて、国民にかかわる問題の多くは開かれた議論の場においてこそ、全ての国民を考えた最良の解決策を議論できる。
一方、民主的な政治が行えない国があり、それらにどう対処していくか。それらの国における専制的な決断の速さに対抗できるだけの民主政治の決定の速さが求められる。国民の声を聴き、そこからも優れた意見を取り込み、最良の政治を行なう民主国家の特徴を活かしながら決定のスピードを高める方策についても最良のものが選べるが、AIの能力をいかに活用するかはKeyになる。以下に述べていくようなやり方でも十分なスピードで政治が行えるようになるが、民主主義の最終手段である多数決があるので決定に至る時間はコントロール可能である。問題は現政治が国民の貴重な意見を充分活かせる制度になっていないことである。民主国家の中にも専制的な傾向に変化していく国が増えていく中、国家の変位を食い止めるための時間的余裕はあまりない。戦争の惨禍の歴史を繰り返さないために、国民が自由意思で意見を述べることができる国である間に進めるべきことは、国会や地方議会の議論に、国民がもっと容易に直接声を届けられるようにして、多くの重要課題について最良の解決案に導く手順と方法を考え実行していくことであろう。
4.国会での議論の在り方
国会での議論では質問に対しての答弁で予め用意された答弁書を読むことが多く見られるが、より良き結論へと議論が発展的に展開されることが期待される。解決すべき課題についてできるだけ多くの視点から解決方向を探り、最良策を決定しなければならない。それぞれ国民代表として選ばれた議員であるが、彼らが国会や各委員会において直接意見を戦わすことは難しいのが現状である。本来はそれぞれの議員が国民の代表として自身の見解を持って自党派内だけでなく国会の場で論じ、最高度の政治を行うことが使命として与えられている筈である。新しい議論の手段が出てきた以上、旧態の方法を踏襲するだけでなく、新たな形で国民のための議論のあり方に変えていく必要があるだろう。
憲法で「国権の最高機関」と位置づけられているのも、「国民の意思を最も直接に代表するものであるから」と参議院HPでも記載されている通りであり、国会が国民の意思をよく反映できるようになっているか、また、代表である議員らの能力がよく発揮できるようになっているか再検討が必要であろう。さらに、議員や選ばれた専門家だけでは気づけなかった解決策を持つ人は必ず居るから、それらの異なる提案を出しやすい国会になっているかどうかが問題になる。専制的国家での権力者ら限られた考えだけから政策が決まるのに対し、民主国家が有利性を保つのは、多くの国民の知恵を活かした政治が行えることであり、それができなければ、独裁的国家への対抗は難しくなる。
国民や省庁職員らの優れた意見を取り入れるため、内閣府に「国民の声」、「職員の声」の窓口が設置されたこともあったが、その反映のスピードは余りにも遅かった。また、国民の声を国会に届ける制度としての「請願」が用意されていても、政策決定の議論に即時に反映できるような制度ではない。さまざまな議論の方法や衆知を集めた計画決定がなされる時代になっているにもかかわらず国会や委員会は優れた知恵を掘り出せる場になっていない。「憲法前文」に述べられているように国民の力を結集して平和国家の建設に邁進できるような国会に変わっていく必要があるだろう。
各議員は国会での議論の前に有権者らとはブログやネットその他直接間接に情報交換しているから、国会での議論形式が変わろうとも、対応は容易であろう。国会での議論が常に有権者に公開されている場合、報道でも日々の重要議題について紹介されるから、議員の国会質問や答弁等を見て、その人となりについて有権者はよく知ることになり、議員を観る眼力も養われてくる。選挙では自ずとなるべき人が選ばれるようになって、選挙に無用なお金をかけなくてもよくなると期待される。議員の意見や議員を通しての国民の声が国会にも届き易くなれば、所属党派の支援に頼らずとも、より自由に自らの意見が国民にも伝わり、政党の在り方や選挙形態も本来あるべき姿に変わっていくのであろう。
これによって国会や議会の権威が失われる訳ではなく、国会が主導して子どもたちを含む国民の声を求めることもできるから、小学生の頃から教育の一環として政治を司る厳粛な場に接することで、さまざまな分野の社会問題にも触れることができ、将来自分たちが生きていく世界について考える機会になる(あるイギリスの研究者が、私たちは小学生時代にプロジェクト研究を経験しているから、どのような新しい問題にぶつかっても解決できる自信があると語ってくれたことが思い出され、ノーベル賞受賞者を量産してきた国のかつての教育的背景を知った思いであった)。優れた政治を進めていくためには、子どもの頃から成長していける環境づくりが大切だが、国会活動に触れることが教育的刺激となって人が育ち世界の平和へと前進していく国になればと願われる。
各種専門家会議や諮問委員会での議論も政策決定には重要な位置を占めている。ここで省庁等推薦の限られた専門家や委員の意見が結果を左右するが、課題に精通する国民が他に居ても意見を提出できるのはパブリックコメントや請願以外殆どない。国会以上に国民に直結する課題を論ずることになる専門委員会等であるから、今後はこのような会議にこそ、有用な意見を一般からも会議中に提出できるようにすべきだろう。議長のリード能力が求められるが、新しい国会と同様のリアルタイムAIアプリケーションを利用すれば議事進行は容易である。
5.地方議会での新たな議論
国会も地方議会も議論の方式は基本的に同様と考えられる。国会から国民への直接呼びかけの道が開かれれば、地方議会も変わってくるであろう。むしろ住民にとって近い存在である地方議会から変わっていくべきなのかもしれない。地方議員の活動の舞台は地元そのものであり、対象になる課題も住民と共有している。地域の抱える課題について、有権者から得られる情報は議員にとって貴重であり、常に情報の発信と収集に努めているところであろう。
現在議会で問題になっている課題について、住民の声が直接議会に届けられるようになれば、議論はより具体的で迫真的になる。地方議会や行政組織の各種委員会も機密が必要な議題以外は本来公開が原則である。地方にも多くの専門家等が居るから、同様のAIアプリによって、住民の声をリアルタイムで届けられるようになれば、議員や専門家だけでは考えつかない解決策も出てくる可能性が増え、政策も変化してくる。そのような議会を持つ地域は、他地域に比し大きく発展していく可能性がある。
これからの地方議会では、新しい国会と同様のAIアプリケーションによって、多くの意見から新しい提案を抽出し、それらについても議論に加えながら、最良の政策を進めていくべきである。国会の議論内容に問題を発見しても、それを容易に伝えられない国民のフラストレーションは政治不信と無関心層を広げるばかりであったが、地方議会でも同じである。国民の代表である議員であっても万能ではない。その課題に対して高度の知見を持つ者が議論に参加できれば事態は変わってくる。
国や地域で問題になっているさまざまな事案について、独自の解決策を持っている場合、それを提供してよりよい社会にしていこうとするのは、民主主義の国に生きて生活を享受する者のいわば義務でもあろうが、それぞれ多忙な日常の中で、公共のために意見を提出し、議論に参加していくのは容易なことではない。しかし、問題が大きければ大きいほど、たとえ無償であっても解決のために尽力しようとする人々が多くいることも、さまざまな場面で国民が見てきたところである。有意義な意見や採用された解決案の提案者に対しては、各種専門委員会委員並みの報酬は準備しなければならないだろう。
このような公開の議論はジャーナリストらの格好の取材対象でもあろうが、彼ら自身の議会への意見提出を含め、新聞等の政治欄は活気を呈し、国民の政治への感心も高まっていくであろう。政治は選挙によって選ばれた議員に任せればよいとの意見もあろうが、あらゆる分野にそれぞれ傑出した多くの人材がいるのが国家であり、彼らの知恵を国民のために活かせないのは余りにも勿体無い話である。
議員もまた一国民であり、全ての分野に通じているわけではない。国民の声がいつでも直接届けられる制度を持っておくことは最高度の政治を行なう上では必須であり、誤った方向に向かわせず民主主義を維持するための安全弁でもある。国民と共に作り上げていく民主社会の発展には、皆で考え提案していく姿勢が重要であり、実際解決困難な問題も国民の知恵を集めれば解決していける。議会をより開かれた身近な場にするだけで、少子化問題、健康、教育、経済、防災等多くの課題へさまざまな解決策が提案され、多くの選択肢の中から最良のものが選ばれ議論を煮詰めて解決に至るであろう。
6.AI利用による幅広い民主的議論
ここでいうAIアプリケーションは国会でも地方議会でも基本は同じであり、ネットで各自のPCから投稿される意見は全てAIに取り込まれ、意見の類別化、特徴ある意見の抽出、これまでにない新しい提案等を各PC端末上に瞬時に表示できる。全ての意見が保存されているから、必要に応じて個々の意見の確認もできる。各個人が責任ある立場での意見のやり取りになるから、予め登録した者のみが参加できるシステムである。
有権者が直接書き込めるネット上の掲示板とも言えよう。既にさまざまな分野でこのようなアプリの開発利用は考えられていることだろう。一度住所氏名等を登録すれば有権者はいつでも議員に質問や意見を届けることが可能になり、議会に対しても意見を提出できるようになる。双方向のコミュニケーションが可能になれば、有権者と議員・議会との関係が一変し、政治は国民が直接関われるものになる。民主主義の維持に関わる難問である国民の政治離れは少なくなるだろう。もとよりPC操作の苦手な情報弱者に対するコミュニケーションの手段等はいくつも考え出していけることである。
これまで、選ばれた議員や専門家の意見だけで、議論が進められ、その範囲内での議論に留まり、その議論を視聴している国民がおかしいと思った場合でも新しい解決提案等は届かないまま政策決定がなされてきた。AIによって抽出された意見が妥当な場合、議長は追加の議論を求めることができる。最後は議員らの多数決で政策は決定されるが、少しでも多くの意見の中から最良な提案に基づいて議論できれば、政策や法案は従来とは格段に本質を突いたものになる可能性がある。各国での技術導入の試みは始まっているだろうが、早く導入できた国はさらに高度化していくであろう。
もとより、AIは万能ではなく重要意見を見過ごす恐れもあるから、必要な場合議長や議員によって個々の提出意見を確認することが必要になる場合もあろう。AIをいかに活用して人間が最良の判断を下せるか、システムの改良が進んでいくであろう。提供されるAIアプリケーションを用いて議員自身も国民注視のなかで、より広い視野で議論することが可能になる。しかし、議員が全ての問題に精通している訳ではないので、議員自らも選挙区民らに対して、政策提言や考え方について意見交換を行い、有用な意見が提供された場合は提供者の見解として引用する形でとりまとめ、議会で有権者に代って討論して最良の政策決定へと進んでいくことになる。
そのようなやり取りの中で、さまざまな難題の解決のために貢献する優れた人々も現れて来るであろうが、議論の公開によって、政策課題について十分な知識・経験を持つ有権者からは直接意見を提出し易くなる。一般にはそのような専門的知識を持つ有権者は限られるだろうが、それらの人々を含め、国民に代わって議論し、新たな政策決定へと行動する議員の言動はよく知られることになり、マスコミでも論評されるから、議会議員選挙に際しても、十分な情報を基に順当な投票が行われることになるだろう。
上述のようなアプリケーションを用いて、新しい国会や各委員会各種諮問・審議委員会等でも公開可能な会議については、国民の意見も直接反映できる場に変わる場合の議論の模様を見てみよう。その場合、議長の役割は大きくなり対応が難しくなるかもしれないが、これまで以上に議長サポート体制を整えることで、従来の識見高い議長であれば十分差配できる。従来同様、議題に関して議論が進められるが、必要な議論に時間をさくために、質問事項等あらかじめ準備された内容については議会開催前に提出されるのがよいだろう。出席議員は予め自分のPC等で質問・回答内容を知った上で本会議での自由な議論ができる。関係省庁等からの事実説明に関しても、必要な場合直接議会に提出できるから、出席議員は各自のPCでその説明内容を確認しながら議論を深められる。
質問議員だけでなく、出席議員や、将来的にはあらかじめ住所氏名等を登録している国民からも各自のPCから意見提出を認め、それらは即時にAIアプリケーションによってまとめられ、新しい視点を持った意見など抽出された意見等が即時に議長はじめ出席議員のPC端末上で確認できる。議員の質疑応答や音声又はタッチ入力された意見等は全て議事録として即時に文書化されるから、審議の過程は何時でも確認できる。議長はその判断により、追加の議論を求め、問題解決への有効策を見出していくことが可能になる。
重要な議題については、時間を定めて補足意見等の提出を求めることもできる。提出意見についても即時に類別化や抽出がなされるが、議論の足りない部分がないか精査の上、例えば一晩温めて議論全体を集約し、議長は翌日の議事採決を指示することもできよう。これらのプロセスをシステム化し、国会等での意思決定を誤りなくスピード感を持って進めていく必要がある。
国民が重要と考える問題はそれぞれあり、専門的知識を持つ国民の多くは、思いと違った方向に進む議論に納得できずに来たことであろう。新たな議会ではそうした異なる意見も俎上に載せられる可能性がある。多くの意見が提出されても実際に採用され、参考にされる意見はごく一部になるかもしれない。それでも国に対して何時でも意見が出せるという政治との繋がり意識を持てることが重要である。特に民主国家の維持発展のための将来の担い手である小学生を含む若年層の参加は必要な体験であろう。
多くの国民の力を感じながら優秀な議員らによって政策が決定されていけば、どのような難題も解決していける。できるだけ多数の有効な意見を集め政策決定することが各議会で認められるか否かで、地方の発展も大きく変わっていく。地域環境文化の発展のために多くの人々の知恵を活かせる制度が先ず地方議会で始まることが期待される。
7.国民と共に歩む民主的国家へ
国会での議論は議員だけのものではない。国民も直接間接に関わってより良い政策決定ができるように変えていければ、より民主的な国になってくる。このようなことは、現状でも意識ある議員らが、自身のHP等を通して国民の声を聴き、それを国会に届ける形で、取り組まれていることであり、より直接的に国民と共に政策決定がなされるようにするだけである。議員の紹介を通さなければ意見を届けることができないのではなく、国会が国民の意見を求め、誰でも責任ある意見を直接届けることができれば国会はより身近なものになる。これは、直接民主主義のスイスでも未だ実現できていないことだろう。
独裁的国家で人々の自由はどれだけ確保されているか分からないが、全ての国民の声が政治に届けられるような民主的国家では人々の発言の自由や人権の確保が主要な政治目標の一つである。人権が奪われ、自由な発言も抑えられて苦しむ人々が居れば、そのような人々に手を差し伸べ問題を解決する方策について、この新しい民主国家では考え出せるかもしれない。老若男女あらゆる国民が知恵を出し合い、情熱を持って国づくりに参加し、可能な最良の政策を短時間で実行できるようにした国がこれからのリーダーとなって、世界の平和実現に貢献していくのであろう。それは一つの国会の少しの改良、地方議会での小さな修正から始まる。
多くの人間の創造力が活かされるためにはAI利用は必須であるが、一方でAIの暴走が心配されている。しかし、この問題こそ人々が知恵を集めて問題点を明らかにして行けば解決できることである。AIを作ったのは人間であり、原爆を作ったのも人間であるから、人智によって対処できる筈である。限られた人々による現国会システムでは解決は難しそうに見えるが、人間の衆知が集まればそのようなものではない。これからはさらに密な付き合いとなるAIとは、人間の叡智を結集して対応し、人間の超強力な協力者として共存していかねばならない。
平和は一国の平和だけでは実現できない。独裁政治下にあって、人権が脅かされ悲嘆に暮れている人々がいたら、連帯の意志をもって彼らを救う手立てを皆で考える必要がある。考えることは誰にもできる。多くの人が考えを寄せ合っていけば、どのような難題も解決の道を探し出せるほど、素晴らしい人間の力を信じたい。子供たちの純粋な発想も世界を変える力がある。これからの国会審議に国民が参加できるようになれば、彼らの創造力は一段と伸長していくことであろう。独裁者が国民を鼓舞し、戦争反対の声も上げられず、戦争に駆り出される人々が居る。人々を追い詰める独裁者がいかに優れた頭脳を持っているとしても、彼らの考えなど遥に凌駕する人々が国家には多数存在している。にもかかわらずそのような国に対処できず平和を達成できないのは、多数存在している彼らの力を発揮できなくしている民主主義の国の政治制度に問題があり、重大な欠陥があるのだろう。民主的で平和な国を守るには、それぞれの国民が努力するしかない。
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